IFCC国際友好文化センター概略
《設立趣旨と経過》
IFCCは従来の代表団交流や観光のみというスタイルを超え、希望し興味を持ち趣旨に賛同するだれでもが参加できる国際交流を目指し1985年から準備会として活動、1988年に正式に発足してきた。(結成当時、会長:高沢寅男(故)、理事長:善明建一、事務長:鎌田篤則、現在、会長:又市征治、理事長兼務局長:鎌田篤則)
コンセプトを“人と人との出会い、交流を通じて、銃口を向け合わない友人知人を得ること”とし、ツアーや交流のプログラムを企画してきている。
発足当初は、DDR(東ドイツ)のFDJ (自由ドイツ青年同盟)とのバーターによる旅行者の相互派遣や、BITEJ (世界青年旅行者連盟)とも連携し、主に東欧への旅行者交流を行ってきた。自立した国際交流団体としてスタートを図った1990年、ソ連・東欧での変動が生じ、主たる交流提携先を失い、一時期低迷したが、その後、中国、キューバ、ベトナムとの友好交流活動を積極化させてきた。
また、IFCCの活動条件を確立するため、1992年、共同出資旅行社「アイエフシー」を関連事業としてスタートさせた。
- 交流活動の中から、1994年7月、CUBAPON(日本キューバ連帯委員会)も設立され、経済封鎖下のキューバへの医療器具支援や交流活動が続けられてきている。特に、1998年にはキューバの首都ハバナで開催された「日本人キューバ移住100年祭」に歌手など同伴し参加。日系人の最も多く住む青年の島で友好コンサートや交歓会を開催。日系人会やキューバ諸国民友好協会から感謝状を受ける。CUBAPONはキューバ労働組合センターやキューバ諸国民友好協会との相互交流を継続してきている。詳細は、CUBAPONのホームページで。
- ベトナム戦争“枯葉剤爆弾被害児童救援”の活動はベトナム訪問経験者や関心ある有志の協力で広がりをもってきている。この活動の中から1999年、JVPF日本ベトナム平和友好連絡会議の準備会が結成され2000年に会長に村山富市・元内閣総理大臣を迎え正式に活動を開始した。1996年から毎年し続けられている“枯葉剤爆弾被害児童支援・ベトナム民族アンサンブルチャリテイコンサート”は、1999年までに480万円の支援を行ってきた。2000年からタイビン省でリハビリ施設建設プロジェクト(総額15万米ドル、日本側8万米ドル)をスタートさせ2004年に開所した。2003年度のコンサートはJVPFと共同で日本国外務省の「日本アセアン交流年認定」を受け日本ベトナム国交30周年記念企画として登録され、国際交流基金の助成を受けた。
これらのベトナムとの交流活動はJVPFを窓口として、現在、少数民族高校生奨学金支援、ホーチミン市での村山JVPF日本語学校の開校、いけばな交流などと広がってきている。
現在のベトナムとの友好活動はJVPFホームページで。
- 1992年より“侵略を記憶し語り継ぐ、平和の旅”を企画し、日本の若者の参加でかっての日本軍の足跡を中国に訪ねてきた。第1回目は朝鮮・中国を訪ねピョンヤンでは“強制連行・従軍慰安婦被害者”から証言聴取を実現。この企画は主に中国での被害生存者、幸存者の証言を聴取し語り継ぐ旅として、2011年で20回を数えることになった。
この旅では、平和的未来を志向し、日中の青年同士の交流をプログラムし、2001年には10回記念として北京に於いて中華全国青年連合会と共催で日中双方200人の「日中青年平和祭」を開催した。
また、河北省の北タン村では慰霊碑に「平和に旅」の記銘がされ、南京大虐殺紀念館敷地内には「平和の旅」の碑が建立された。
この「中国での侵略を記憶し語り継ぐ平和の旅」はIFCCが発起して続けられ、2011年まで20回を数えた。
- 2002年から中国植林緑化協力活動のため推進母体として「緑の架け橋推進センター」を結成し植林活動をしてきた。これは、「中国・平和の旅」で培った中華全国青年連合会とIFCCとの友好関係の上に、日本政府の日中緑化交流基金の助成を得て行われている。すでに、寧夏回族自治区の沙漠の8か所のプロジェクトを手掛け、2010年までで、1350ヘクタールに植林。現在も継続中である。現在の活動はIFCC緑の架け橋ホームページ参照。
《他の実績と主な活動》
- 1985年、モスクワ青年学生祭典にあわせて、ソ連・東欧(ブルガリアコース、チェコスバキアコース、東ドイツコース)へ交流団70人を派遣。
- 1987年、ロシア革命70周年で107人の訪ソ団とソ連・東西ドイツ訪問団31人を派遣。
- 1988年より、ソ連ピオネールキャンプに取り組み、延べ100人近くの日本の少年少女を派遣。
同キャンプの1991年より“日ロ子どもキャンプ”と名称を変え、1903年まで続く。 - 1988年より、ソ連、ポーランド、ドイツ、チェコ、ハンガリー等へ交流団派遣。1991年まで。
- 1989年、ピョンヤン祭典には、代表の他ツーリストとして100人を派遣。
同、青年学生祭典は1997年ハバナ祭典、2003カラカス祭典と協賛。 - 1992年より、キューバとの交流開始。その後の活動はCUBAPON(日本キューバ連帯委員会)を通じて行う。
- 1992年より、平和友好祭企画の“侵略を記憶し語り継ぐ、平和の旅”をアシスト。
- 1995年のベトナム統一20周年を機に、スタディツアーを取り組み、枯葉剤爆弾被害者視察、
ストリートチルドレン視察を1998年まで実施。その後、JVPF日本ベトナム平和友好連絡会議の活動に継続する。 - 1995年から、“アウシュビッツ平和の旅”を毎年1~2回プランにング。
- 1996年から、“ヨーロッパ福祉事情視察”を、各種団体とともにプランニング。
- 1994年から、“ヨーロッパ政治経済視察”として、政党、労働組合、研究所などにアポイントをとりプランニング。
- 被戦地オキナワ青年の旅は20年にわたってアシスト。
- 「アウシュビッツ平和の旅」を2013年まで19年に渡ってアシスト。
2016年1月記
JVPF《日本ベトナム平和友好連絡会議》
JVPFとは、日本ベトナム平和友好連絡会議の英文名の略称です。日本とベトナム社会主義共和国との市民レベルでの平和的な交流活動と相互理解を目的にし、「国際交流」「国際協力」「教育支援」の三つを基本の柱として活動しております。枯葉剤爆弾被害児童支援活動、ベトナム民族アンサンブル・チャリティーコンサート活動、少数民族出身高校生奨学金支援活動、スポーツ・文化交流の一環として、2007年12月17日にラムドン省ダラット市で開催、その他、いけばな交流(草月流:川村衛香師範協力)、明治大学マンドリン倶楽部演奏会、劇団わらび座公演、オペラ交流コンサートなどサポートしてきました。また、ホーチミン市においては、2007年9月に村山記念・JVPF日本語学校を開校致しました。今後も両国の市民レベルの交流がさらに活発し、相互理解が深まり、同じアジアの友人が増えるよう活動して参ります。
キューバ青年の島稲作自給支援プロジェクト
「青年の島」(イスラ・デラ・フベントゥ Isla de la Juventud)はキューバの西南部に位置する島です。ここは当時の移住政策のなか入植した百数十人の日本人がかつての名称であるピノス(松)島(イスラ・デ・ピノス Isla de Pinos)という名称から「キューバの松島」と呼び、遠い日本に思いを馳せたと言われる、現在も多くの日系移民の人々が暮らしている島です。 日本と比べ圧倒的に物資が少ないキューバの離島。水源の少ない土地、深く根を張るマラブーの木。稲作に向かない自然環境はこの地に根を下ろした日系移民の人々のお米をたくさん作りたいという願いを阻んできました。 新潟県加茂市出身の菊田さん(自治労新潟県職員労働組合員)は地元で農業普及員として働いていましたが、CUBAPONの発起でカリブ海の島国キューバ「青年の島」で稲作の自給支援に乗り出すことになりました。
IFCC 緑の架け橋プロジェクト
IFCC国際友好文化センター(会長:又市征治)は、1989年6月、日本青年学生平和友好祭実行委員会IFCC国際友好文化センターは構成団体)の120人の訪問団を、中華全国青年連合会の受け入れで派遣してきたことから、友好的関係を続けてきました。その後、2002年11月、中国での緑化植林活動のため『緑の架け橋推進センター/会長・佐藤晴男』を立ち上げ、中華全国青年連合会をカウンターパートとして、寧夏回族自治区において生態緑化プロジェクトを推進してきています。これまで、「寧夏紅寺堡生態緑化プロジェクト」、「寧夏・日中青年平羅県生態緑化林事業」、「日中青年寧夏中衛生態緑化モデル林プロジェクト」(それぞれ3カ年)を終了し、「日中青年銀川生態緑化林事業」、「日中青年石嘴山生態緑化林事業」、「寧夏中寧県生態緑化モデル林事業」を推進中。 任意団体『緑の架け橋推進センター』は事業主催団体:IFCC国際友好文化センター、事業助成団体:日中緑化交流基金の日中緑化交流事業の事業推進母体として活動を行い、2008年11月、6年間の活動を閉じました。その後、この『緑の架け橋』の活動は、事業主催のIFCC国際友好文化センターの元で『緑の架け橋プロジェクト』として継続されています。